[エッセイ]お洒落のために帽子を被る勇気とタイミングについて

2017年1月27日

 

日常生活ではなるべく目立たないように生きたい。

例えば、日焼け防止のためとか頭皮を隠したいなどの特別な理由がある場合を除いて、

つばの広い女優帽などをかぶったりして電車内で浮きたくない。

「あの人どこに行くのかしら」

「あの帽子とあの恰好は似合わないのではないか」

と、いらぬ思案を周囲の人々にさせたくない。

だから私は基本的に、当たり障りのない服を着て無難に日々を過ごしている。

 

一度だけ帽子を買ったことがある。

今思うと鳥肌が立つほどダサい、チェック柄のキャスケットだった。

雑誌リンネルとか読んでる系女子がよく被っているやつだ。ガーデニングしてる人っぽいやつ。

店先のマネキンは目も鼻も口もないけれどとても小顔で、それをお洒落に被りこなしていた。そこに騙され購入し、家に帰って被ってみたが、驚くことにまるで似合わない。

店に設置された小さい鏡に映したときはなんとなく似合う気がしていたのに、魔法が解けたようだった。

 

別の日、気分が高揚して、今日はお洒落をしたいという気持ちになったので、ついついその帽子を被り手鏡の前に立った。

一気に高揚していた気分がそがれた。

こんなもの被っていたら、車内の視線を集めてしまうかもしれない、という謎の自意識が作動した。

お洒落してる感、満載すぎやしないか。モデルでもあるまいし、やりすぎじゃないか。

無理をすべきではない。余計なお洒落小物は買ってはならない。

私は肝に銘じた。

 

要は日常生活で視線を集めることが嫌いなのだ。

帽子でなくても。真っ赤なワンピースとか、派手なヘアアレンジも怖い。

「この人、朝からセット頑張ったんだな。でも後ろのほうの毛が今にも崩れそうだ。ついでにいうとあんま似合わないな」

なんて思われるかもしれないから怖い。

 

そんな自意識の塊、かつネガティブ妄想人間の私が、もっとも苦手としている遊びが、何人かで行くボウリングである。

ボールを投げる瞬間、グループの視線を一同に受ける。

私のケツをそこにいる誰しもが見つめる。

球がのろのろと転がり、ガーターだった場合、どんな顔をして振り返ればいいのだろう。

大げさなリアクションで悔しがるべきか。おどけるべきか。その前に「どんまい!」なんて言われてしまったら余計にみじめである。

ストライクが入った場合も、どう喜ぶべきだろうか。

ドヤ顔で振り返ったのに、誰も見ていなかったら。隣のレーンのスーパーショットに気を取られていたら。仲間が数名連れだって、飲み物を買いに席を立っていたら。手を出されて待ち構えられたハイタッチがうまくいかなかったら。

いえーい、なんて普段云わないのに、いえーいと言ったり。

ルールもよくわかっていないのに、いろいろ考えるふりをして頭上のスコアボードばかりみてしまったり。

突き指をしたふりして離脱できないかなと考えちゃったり。

 

お洒落の為に帽子を被ることができる人ならばきっと、こんなバカげたことを考えずに仲間たちと素直に楽しむことができるのだろう。

人生なにかと損をしている気がして、ちょっと悔しい。

ちなみに最近流行りのボルダリングも、一緒に来た相手にケツを向けまくる遊びなので苦手である。